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2024年7月20日
最近富士山に関するニュースが多い。コンビニ越しに見えるだとか、軽装弾丸登山だとか、インバウンドのマナー問題だとか、オーバーツーリズムに起因することが目立つ。この夏に富士登山を計画している人もいるかと思う。登山前に、ぜひ新田次郎の本を読んで欲しい。特に富士山の厳しさを描いた「蒼氷」がいい。
新田次郎の本は読みやすく、山を題材にしたものが多いので、若い頃の愛読書だった。その頃登山もしていたが、山の過酷さの描写が生々しくて、準備や装備には怠りなかった。が、何故かちょうど二十歳の頃だと思うが、母と弟で富士山に登ることになった。帰省する田舎もない子供たちに夏休みの思い出を作らせようと母が考えたに違いない。
高校の時に山岳部だった自分は、丹沢や奥多摩、八ヶ岳にはよく登ったが、富士山はそれらの山から望む対象だった。富士山には山行の醍醐味である「縦走」がないため、魅力を感じなかったのもあるだろう。
夜の新宿をバスで出発して富士吉田口の5合目に着いたのはまだ日が変わっていない時間だったと思う。当時から富士山は夜間に登るのが当たり前だった。5合目を過ぎるとすぐに森林限界を超えて、陽を遮るものがなく暑いためだ。それから頂上でご来光を拝むため、という理由も大きい。
さすがに当時は今のように他国から富士山に登りに来る人はいなかった。また物見遊山で登る人も少なかったように思う。トレッキングポールもなかった時代、手に持ったのは五合目で買った「金剛杖」だ。そうお遍路さんが持っているあれだ。重いあれを片手に持って、頭にはヘッドライトを点けてジグザク道を登っていく。正直天気が良ければさほど難しい山ではない。しかし独立峰ゆえ天気の変化が激しく厳しいのが富士山だ。実際自分が登った直前にも落石や落雷による大規模遭難が起きていた。
9合目あたりでご来光を迎え、何とか頂上に着くと母は軽い高山病で辛そうだった。頂上小屋で休む母を置いて、自分と弟はお鉢巡り(頂上の火口を一周する)をして、新田次郎が一時期勤務していた富士山測候所や頂上からの壮大な眺めを堪能して戻ってくると、母はとても寒そうだった。下山は須走口から御殿場に降りることを計画していたが、その方面の雲行きが怪しい。積乱雲が発達して落雷の危険がありそうだったが、構わず降りていく人も多かった。しかし山では「皆で行けば怖くない」ということはあり得ない。下手をすれば全員を飲み込んでしまうほどの猛威を振るうこともある。確かこの登山の2~3年前には数十人が巻き込まれた落石事故が起きていたし、隠れる場所のない富士山では落雷事故も多い。「皆が行くから大丈夫」という判断ではなく、「まさかとは思うが自分たちだけは万全を期そう」というのが正しい判断だ。
この時は結局富士宮側に降りることにした。急勾配で降りてからの帰路も長いのだが、富士宮側には雲がなかった。結局須走側でも落雷事故が起きたということはなかったようだが、自分たちだけに落雷が起きていたかも知れない。判断は間違ってなかったと思った。結局自宅に戻ったのは夜の10時を過ぎていたと思うが、一生に一度は富士登山という願いを母や弟とともに果たした思い出は今も残っている。
最近はスマホで簡単に救助を要請出来るからか、「いざとなれば誰かが助けてくれる」と安易な気持ちで登山を行う人が多いと聞く。持論だが、山や海は死に直結する場所だ。他力など当てにせず、自己責任で登って欲しい。趣味や観光で「人様に迷惑などもってのほか」だと思う。