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「コストコ」で考えたこと

2024年11月17日

沖縄県南城市のコストコ。OPENして3か月が経とうとしていますが、まだまだ平日でも相当な賑わいを見せています。広大な駐車場でスペースを見つけるのも一苦労で、車内で「クォーターパウンドホットドッグ」でも食べていようものなら、目の前に止った駐車待ちの車に「はよう出せい」と無言の圧力をかけられます。

 

店内に入ってもアメリカンサイズの「ジャンボカート」で身動きが取れません。このカート、日本サイズにすれば店内の通行がスムースになり、より「購買意欲」も増すのではないかと思うのですが、「外資系の常」で、本国で成功しているやり方をその国に合ったようにカスタマイズするなんてことは絶対にありません。キャッシャーでも買ったものを「ベルトコンベア」に自分で並べ、前後の人との境目が分かるように仕切りを置いたりします。スペースが十分にあるから、こんな場所を食う方法も成り立つわけですし、客もスピーディ(?)な精算に協力を惜しみません。クレジットカードも「マスター」だけしか使えません。しかし日本にいながらアメリカ気分が味わえるので、文句を言っている人などいるはずがありません。

 

総菜のポーションもこれまたアメリカンサイズで、小家族の日本の家庭には多すぎます。皆で分ければいいのでしょうが、そんな面倒なことをしなければならないほど安くもありません。味もアメリカンで、自分は「バジルとシーフードのニョッキ」を買いましたが、1週間連続で毎日「バジルとシーフードのニョッキ」を食べ、残った1/3は結局食べきる前に期限も食欲も切れました。

 

そこで私は思い出すのです。20年以上前に黒船に例えられて日本に進出して、2年持たずに撤退した「あるフランス系の化粧品小売りチェーン」を。これまたフランスのみならず、アメリカでも大成功を収めて満を持して日本に進出してきましたが、当然「向こうのやり方」を押し付けまくってきます。店舗内装、什器、POS、買い物かご、店内BGM、ユニフォーム、接客マニュアルの何から何まで向こう仕様です。自分はそこの開店準備社員でしたので、本国のやり方を学ぶために、サンフランシスコ、ロスアンゼルス、シンガポール、そしてパリなど出張しまくります。シンガポールなんて2か月くらい滞在しました。マネージャーだったので往復のフライトはビジネスクラス、ホテルもヒルトンクラスでした。シンガポールでの週末は2週間おきにビンタン島のリゾートホテルで休養です。逆に本国から日本に開店ヘルプに来る外国人勢は帝国ホテルが定宿でした。そこで働く日本人(特にワタクシ)も徐々に勘違いをしていきます。「フランスってスゲーな」「アメリカってすげーな」、「オレってすげーな」、「まるでエグゼクティブじゃないか」と経費に歯止めが利かなくなります。

 

店舗も銀座、渋谷、新宿、池袋、千葉、表参道、心斎橋と順調に出店を重ねていきます。どこも最高の立地で「さすが黒船」と業界でももてはやされますが、百貨店の力が強い日本の化粧品業界は、その圧力のために主だったビックブランドは我々の店舗への商品供給を見合わせます。入店客数の割に売上も伸びません。そんな状況の中、本国から来たお偉方の前に日本の全従業員が集められます。「XX月XX日に日本から撤退します」という衝撃な告知に泣き出す人もいました。自分も「はやっ」という言葉しか出てきませんでした。この頃、外資の流通小売系の企業がこぞって日本に進出してきましたが、どこもかしこも日本の細かい商習慣やトレンドにアジャスト出来ずに全て撤退していきました。

 

コストコは日本に進出して来てもう20数年が経つはずですので、すでに十分な「成功を収めている」と言えるでしょう。多くのファンもいるはずです。日本のスーパーの売上ランキングでも常に上位です。恐らく見えないところで相当な努力と「本国と日本の間でせめぎ合い」が繰り広げられているのだと思います。自分の時代は会議などで少しでも本国のやり方に不満を言おうものなら、「Careful, Hiro!」(ピシッ)と言われて沈黙してしまっていました。コストコの日本側のスタッフはその点かなり優秀であり情熱があるのだと思います。

 

高齢化が進む日本の中で、今後どうアジャストしていくのか、興味深く見守っていきたいと思います。

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