ありがたいことに、設立間もない我が社では、胡蝶蘭や観葉植物をはじめ、壺に入った泡盛、大量のドリンク類、フルーツ盛り合わせなど、たくさんのお祝いを頂戴しています。前職を含め、これまでの繋がりにひたすら感謝する日々です。
一方、起業してから新しくお付き合いが始まったご縁もあります。お取引させていただいている信用金庫さんからは、会社名とロゴが美しく刻印された島酒「松藤」をいただきました。祝いの酒として有名だそうで、沖縄では珍しい山清水から仕込んだ三日麴仕込み。深い味はろ過を極力減らしたからだそうです。恩納岳の清水。長期熟成の醪。今すぐ飲みたい!という気持ちをグッとこらえて仕事に励む日々です。
ところで、泡盛の原料となるタイ米(インディカ米)は誰がどのように輸入しているのでしょうか。それぞれの酒造メーカーで輸入しているとは聞いたことがありません。調べてみると、沖縄食糧がタイから年間24,000トン輸入するうち、15,000トンが泡盛酒造組合に卸されるそうです。残りの9,000トンは何に使っているのか、そちらの用途が気になるところです。
昔はタイ米の品質が恐ろしく低く、燻蒸を数回するので泡盛にしても臭いが残ったらしいです。今は炊いて食べてもかなり美味しくて、燻蒸の必要もないので品質が安定しているとの事です。そもそもなぜ泡盛にはタイ米が使われるのでしょうか。調べてみると、タイ米を使いだした歴史は意外に浅く、明治中期まで主に輸入されていたのは唐米という中国や韓国のお米だったらしいです。明治の末期になって唐米の値段が高くなり、ベトナムやミャンマー、台湾など、アジア各地のコメが輸入されて、それが泡盛の原料になったそうです。
大正の末期になってタイ米は輸入され始め、昭和の代に泡盛の原料として定着したそうです。沖縄の交易史とともに、泡盛の原料も変わっていったのですね。しかしもともとの「唐米」でもインディカ系のコメを用いていて、それが大正末期から昭和にかけ、産地がタイに移動し、タイ米利用になった、という事ですね。
でも琉球の時代から鹿児島とも交易があったわけで、なぜ日本のジャポニカ米は泡盛の原料にならなったのでしょう。調べると、1971年の本土復帰の際に本土米の使用は技術的・酒質的に難しく、タイ米を使用することとなった、そうです。米を使った蒸留酒だと球磨焼酎が真っ先に思い浮かびますが、泡盛とは全く別のお酒ですよね。焼酎も黒麹が使われるものもあるけど、全然味が違うんですよね。どんな製法の違いかはまた調べてみます。
沖縄や泡盛が好きで色々な本を読んでいますが、
戦後、食料となるものを酒の原料にしてはならなかったようです。
粗悪だったがために 今や特徴ある泡盛の原料として存在しているのは半分皮肉なものですね。
1987年発行の「泡盛読本」まぶい組 に書いてありました。