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近江商人から学ぶビジネスの基本

今回からロジスティーダの行動指針である"四方よし"の基である"三方よし"の近江商人について語りたいと思います。近江とは今の滋賀県ですが、遠江(とおとうみ)という地域もありました。今の静岡県西部ですね。両方とも江という文字が入るので、水辺ということは想像がつくと思います。ではどこの水辺なのでしょうか。今の奈良県、すなわち大和に都が置かれた奈良時代には、湖は淡海と呼ばれたりしました。そう、大和から近い琵琶湖が近淡海、遠い浜名湖が遠淡海で、それが変化して近江、遠江になったと言われています。(諸説あります)


ではその一方、近江がなぜ近江商人を生み出し、今もその流れを汲む名門企業を多数輩出したのでしょうか。地図で見るとわかるように、まずは交通の要所だったのが理由の一つです。

昔は徒歩で旅をするので、街道が交わる場所が宿場町として栄えました。東海道や東山道はもちろん、伊勢や北陸に向かうにも分岐点となるとても重要な場所なので、江戸時代では最も徳川に信頼された井伊家に彦根を守らせました。織田信長も安土に居城を構えましたし、石田三成の佐和山城も彦根にありました。麒麟の明智光秀の坂本城も近江ですね。


名君の城下町に育てられた事もありますが、近江商人の真髄は行商にあります。江戸時代には日本全国に活動地域を拡げ、その商才を他の地域の商人から妬まれ、伊勢商人とともに近江泥棒伊勢乞食と揶揄されたりもしたようです。

しかし交通に恵まれていただけではありません。近江商人は多くの商売に関する哲学を生み出しています。特に「商売十訓」には学ばされます。今でも全てビジネスの基本となるのではないでしょうか。特に自分が好きなのが、「売る前のお世辞より売った後の奉仕、これこそ永遠の客をつくる」です。実践しなければ!です。それ以外にも「無理に売るな、客の好むものも売るな、客の為になるものを売れ」には衝撃すら受けました。


しかし今のコロナ渦で1番胸に刺さるのは「商売には好況、不況はない、いずれにしても儲けねばならぬ」です。コロナのせい、政治のせいにするのではなく、変化に対応しなければなりません。改めて近江商人の哲学には感銘を受けます。なぜこのような哲学がこの地で生まれ、全国に展開するに至ったのか不思議です。調べると多くの要因がありますが、教育制度と評価基準が素晴らしかったことが言えます。「間に合うか間に合わないか」、今の言葉で言うと機敏であるかどうかです。先輩が荷造りしている傍でボーっと見ているか、荷を纏めた紐を切る鎌を用意して待っているか、そういう先を見越した先見性と判断能力を見るのです。自分はどうか? 鎌で怪我した同僚の指を縛る包帯くらい用意出来る人間でありたいです。


今では経営の基盤とも言える複式簿記を生んだのも近江商人と言われています。数字に強い事は経営で最も重要ですよね。しかし近江商人は経営能力や教育制度が優れているばかりではなく、徳を重んじていました。信心深い人も多かったようです。「陰徳善事」も近江商人の哲学ですね。本当に学ばされます。


これは私個人の考えですが、情報を発信しない人に情報は集まらない。近江商人はモノを売るばかりでなく、情報が遠い地方にも耳よりの情報を提供したといいます。近江商人は便利で整備された東海道や西国よりも、不便で険しい土地の多い信濃や東北にその痕跡が多く残されています。そういう不便なところはモノだけでなく、中央の情報を欲しがる客が多いのです。交通の要所で都にも近い近江で仕入れた情報を付加価値として届けて、さらにその土地で必要とされているモノは何かを調べて仲間に共有する事で次のビジネスとする、感動すら覚える商人魂です。自分も江戸時代に生まれて近江商人として学び直したいくらいです。ただ顧客先にご挨拶と称して顔を出すだけじゃダメなんですよね。顧客が何を求めているのか聞き出す。そして次回の提案の材料とする。情報化時代でも常にビジネスの最重要課題は需要の予測ではないでしょうか。


この春、近江商人の面影をたどるため、桜が満開の季節に近江に行ってみました。この結果はまた時をみてお伝えしたいと思います。







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